《 第六節 Nesselsucht nach hohem Fieber 》


 ガイゲのテントは、シュネイのテントよりも数段きれいに片付いていた。

 すのこのような造りの床はきちんと掃き清められ、赤い染料で紋様の描かれた敷物には、目立った汚れも見当たらない。棚や家具らしきものも整然と並べられている。女の子に失礼、と彼は言ったが、これが駄目ならシュネイの家はどれだけ失礼なんだろう、とステルンは思った。

 ガイゲは入り口側の地面においてあるストーブのふたを開くと、薪を数本と干草を入れて、奇妙な輝きをもつ赤い石をひとつ放り込む。するとストーブの中に、明るいオレンジ色の火が咲いた。それから衣装箱のそばにあった毛皮の敷物を引っ張り出し、もじもじと立っていた少女にすすめる。
 すすめられるまま、ステルンはその毛皮に腰を下ろした。その間にガイゲは小鍋に汲んだ水をストーブにかける。

「少ししたら、すぐあったかくなるから。ごめんね、何もないから冷えやすいんだ」
「い、いえ……」
「あはは、そんなに固くならなくていいのに。あ、僕の事は呼び捨てで呼んでよ。それに敬語も使わなくていいからね?」

 ガイゲはシュネイやブランドよりもいくぶん背が低く、すこしぽっちゃりとした外見はどこか親しみやすい。話し方も穏やかで、森の動物やエルフェの子供たちについてのたわいもない話を聞くうちに、初めは身構えていたステルンもいつしか打ち解けていた。

「……そういえばブランド、ちゃんと見つけられたかな」

 話が自然と途切れたところで、ふと入口の方に目を向けて、男はそんな言葉をもらす。

「シュネイの……?」
「そうそう。まあ、歌って身を隠されでもしない限り、すぐ見つかるだろうけどね」

 ガイゲはあまり心配していなさそうだが、ステルンにはその言葉がすこし気になって、好奇心のままに尋ねてみる。

「もし歌ってたら?」
「一生かかっても見つけられないね。あいつが本気で歌ったら、僕らでは絶対に敵わないよ」
「……そんなにすごいの」

 意外そうな顔で眉をあげた彼女に、ガイゲはそんなことありえないけどね、と笑った。
 ステルンのカップの中身が減っているのに気づき、男は茶のおかわりをすすめてくる。少女はありがたく二杯目を貰うことにし、残りを一気に飲み干して、カップを差し出した。

「あいつさ、もともとはこの集落の出じゃないんだよね」
「え?」
「詳しくは僕も知らないんだけど。ほら、肌の色とか、僕やブランドとは全然違うでしょ?」

 カップに注いだ二杯目の甘い茶を手渡しながら、彼はわずかに目を細めて言う。
 あまり気にしていなかったが、言われてみれば確かに、この集落で見かけたエルフェたちの肌は白いし、髪の色も比較的濃い。シュネイだけが、褐色の肌に銀髪という、正反対の色をしていた。

「僕が知ってる歌では、そんな姿を持つのはずっと南のエルフェなんだよね。それも、少し特別な」
「じゃあ、シュネイもその、南のエルフェなのかしら」
「それは分からないよ。たまたま歌われているのと合ってただけかもしれないし」

 冗談めかして笑いながら、ガイゲは一口茶をすすり、それから思い出したようにぼそりと呟く。

「……ただ、その神話に匹敵するくらいの力を持ってるのは確かかな」
「神話?」

 興味をひかれた様子で身をのりだす少女に、彼は迷っているのか軽く唸った。

「人間の前で歌っても大丈夫なのかどうか……」
「え? シュネイは目の前で歌ってたわよ?」
「……ああもうっ、シュネイったら!」

 左右に頭を振って、呆れ顔になるガイゲ。……おおかた何か片付けるとか、火をつけるとか、そんな日常生活で歌ったに違いない。思わず声をあげたガイゲから、少女がわずかに後ずさった。

「ってことは、もしかしてセンゲルの事は聞いてるの?」
「もしかしなくても聞いてるわよ。歌うたいだって、シュネイは言ってたけど」
「うーん、正確には昔話の語り手、みたいなものなんだけどね。……ちょっと人間には、刺激が強いんじゃないかと思うんだよな……」
「どうしても、だめ?」

 いかにも自信なさげに呟いた彼に、ステルンは興味津々のいたずらっぽい上目遣いでたずねてみる。するとガイゲは観念したのか、目を反らして両手をあげた。

「ああ、もう、分かったよ。昔語りって言っても人間とはだいぶ違うだろうし、驚くだろうけどね」

 センゲルの力が殆ど人間に知られていないのは、彼らが本来、その力を人間に見せるような場面で使わないからだ。ガイゲがいうように、歌は彼らの語りの手段である。魔法のようには見えても、攻撃向きの力ではないのだ。

 ガイゲは厳かに目を閉じ、呼吸を整える。意外と長いその睫毛が伏せられる様は、親しみやすい人柄とはいえども、彼が精霊の一族であることを見せつけた。ステルンはちょっとした疎外感のようなものを感じながら、彼の口から言葉が放たれるのを待つ。

 大きく息を吸った男の口から、やがて旋律が紡がれだした。


『世界のはじまりに時ありき。時の中に闇ありき。

 闇は光を生み、闇と光は暁と宵を生む。
 四神は世界を生み、世界は我らを生みし揺り篭。

 我らは風より生まれ、風と共に生きる。
 故に風渡り、エルフェの名を頂く。

 さて、これより語るは我らの同胞、風を友とし、歌を伴侶とした一族の名』



 前口上を歌い上げ、ガイゲはひとつ息をつく。シュネイのような軽いハミングではない、初めてきく本当のエルフェの歌。人間の歌手とはまるで違う音の重なりに、少女は酔いにも似た軽い眩暈を覚えた。


『初めに風を纏いし神は、空を臨めるラウム、雨に荒ぶるストルム、大いなる風抱くヴィンド。

 ストルム、その荒き気性に狂いて神々の糧となり、
 ラウム、その翼で高き空の彼方へ消えゆく。

 歌を奏でしヴィンド、世界を渡りゆく彼の神のみひとり大地に残さるる』


「きゃっ……?!」

 ぐらり、と視界が揺らいだように感じた。思わず目をつぶるが、次に瞼を開くとそこに知らない世界が広がっている。ステルンは思わず目をこすったが、ガイゲの歌声がはっきりと聞こえている以外には、何もかもが変わってしまっていた。

 歌と共に雷を纏った大嵐が吹きぬけて消え、猛禽に似た巨大な鳥が天高く羽ばたく。そして一人の少年が、鳥の去った緑の草原に残された。風に白く長い髪をなびかせ、金色の目を悲しげに空へ向けている。褐色の耳が尖ったその姿は、心なしかシュネイに似ていた。

『白き髪のヴィンド、時を経てやがて我らの祖となりき。

 歌生みしその体は風より出でて、朽ちた魂は風へと還る。
 風より創られし我らもまた、風へと還る定めにあり。

 我らは風とともに散り、歌を伝え大地に留まる、今を生きし風の骸よ』


 めまぐるしく雲が流れ、草原に立って空を見上げていた少年は、いつしか青年となった。彼が歌うように何かを呟くと、草原に吹く風が集まって色をもち、形をもち、そして人の姿になった。


 それはまさに、今に生きるエルフェの姿。


 青年に形作られたエルフェたちがやがて数を増やしていくと、彼は満足そうに笑みを浮かべて目を閉じた。その体がふわりと空気に溶け、後にはなんともいえぬ美しい玉石が残される。彼の後を追うようにエルフェたちもまた眠りにつき、風に溶け、そして必ず後には宝石のような石が残された。


『やがて屍となりし神、その名を冠せし一族は、今も渡りて留まらず。
 その姿は風神の鏡、黒き肌の白き髪。

 歌においてはまさに神のごとき、冥界の死者は罪を悔い、悪しき魔でさえ涙する』


 青年の後に残された石が二つに割れ、それぞれが黒い肌に白い髪をもつエルフェになった。それは男と女のエルフェで、気がつけばいつの間にか異形の怪物たちが彼らを取り囲んでいる。しかし彼らが歌うような仕草をすると、怪物たちの体がぼろぼろと崩れ、そこから光の粒が無数に立ちのぼり、空の彼方へと消えた。


『時の流れに失われゆく、我らエルフェの旋律の、正しき力を継ぎし者ども。

 その名はヴィンデ、風神の血族たち』


 怪物を退けた二人のエルフェが天に手をかざすと、視界は白い光に覆われる。



 真っ白になったそこに、歌の余韻だけが残った。
 長い歌を締めくくると、ガイゲはひとつ息を吸い、大きく吐く。

 ステルンはといえば歌が終わったにも関わらず、現実と幻の境に視線をさまよわせていた。そんな少女の様子をみて、ガイゲはぽりぽりと頭を掻く。

「ありゃ。人間は耳が悪いから、音を抑えれば大丈夫かと思ったけど……そうでもなかったか」

 んー、と短く唸ってから、ステルンの目の前でぱんっ、と両手を合わせてみせる。存外に大きな音が出て、ぼんやりと宙を眺めていた少女は我にかえった。

「きゃッ! ……あ、あれ、あたし……?」
「ごめんねー、こんなに効いちゃうと思わなかったから」
「え?」

 眉尻を下げて謝るガイゲに、何のことやらよく分からない彼女はきょとんとしてその瞳を見つめかえす。

「音を使って体感させる、これが僕らの伝え方なんだよ」

 自分たちの語り伝えは、耳からの旋律と共に、語り手の思い描く物語を見せる幻なのだ、と男は言った。

「幻……? えと……でもいま、どこか知らない場所にいたような……」
「そう、それ。エルフェでもそう見えるんだけど、僕らは幻と現実の区別がすぐにつくんだ。先にちゃんと説明すればよかったね」

 そういってから、ガイゲはすっかり冷めてしまった茶を一口飲んだ。そんなガイゲの顔を見つめる少女は、ハシバミ色の目を真ん丸くしたまま、まだどことなく理解できていなさそうな様子だ。

「言葉に力があるわけじゃないから、それだけなら幻は見えないんだ。言葉だけで言えれば良かったんだけど……ごめん、歌わないとちゃんと出てこなくって」

 続けざま自分を揶揄するようにそういうと、彼は苦し紛れといった感じで笑う。
 少しの間をおいて、ステルンはようやくその意味を飲み込んだ。つまり、旋律の方に幻を見せる力があるのであって、歌詞はあまり幻には関係ないのだ。けれど恐らく、ガイゲの覚えている歌が多すぎて、曲と一緒でないと物語がすんなりと出てこないのだろう。

「そんなにあるの?」
「うん? 何が?」
「歌。歌詞だけじゃ覚えられないくらい、なのよね?」
「ああ、うん、まあね。それが普通なん――」

 ぴくり、と耳を獣のように動かし、エルフェの男は弾かれたように顔を上げた。入り口のほうを振り向いてじっと見据え、何かを探ろうとするように黙り込む。
 もちろんステルンには、何が起こったのかなど分からなかった。突然言葉を途切れさせ、危険を察知した獣のような動きをみせる彼の様子に、ひどく戸惑う。

「……ガイゲ?」
「しっ。…………村が、襲われてる」
「え?」
「くそっ、影か……! ……ステルンちゃん、僕が戻ってくるまで、絶対にこのテントから出ないでくれるかな。いい?」

 言いながら立ち上がり、脱いでたたんであった毛皮の外套を再び着込む。帽子を被り、弓と矢筒を携えると、焦げ茶色の瞳を鋭く光らせて入り口へ向かった。

「あ、あの……何?」
「ごめん、説明してる暇はなさそうだ。とにかく、ここを動かないでほしい」
「う……う、ん……」

 幾分か抑えてはいたが、その強い口調に何も答えられず、ステルンはこくりとうなずく。それをみると一度だけ口元を綻ばせて、ガイゲは外へ飛び出していった。






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