その戦いは、人間が見たらきっと奇妙だと思うに違いない。 エルフェたちが剣や弓で応戦するのは、まるで塗りつぶされたような真っ黒な闇。冬の森の白によく映えて、奇妙にうごめいている。そして実体があるようなないような、それらには音がない。 もちろん、音が雪に吸われている、というわけでもない。まったく、かれらには音というものが存在していないかのようなのだ。足音も、その腕が風を切る音すらも。ぬらぬらと蠢くかれらの前で、聞こえるのはエルフェ側の声や武器や術の音だけだ。 「遅いぞガイゲッ!」 「すみません、今援護します!」 遅れて駆けつけたガイゲをよく通る声で怒鳴ったのは、片刃の穂をもつ細身の銀槍を携えた背の高い女性だ。人のような虫のような、奇妙な形をしたそれが斬りつけてくるのを柄で受け流し、金糸の交じった茶の長髪をなびかせながら、その胴へ真っ直ぐに突きを食らわせる。 まるで当然とばかりに穂先は腹から背へと大穴を開けて突き出たが、まるで液体に突っ込んだかのように波打つと、黒い雫を数滴散らしただけでまた元にもどってしまった。 だが一瞬動きを止めたそれの、丁度額ともとれる位置に一本の矢が突き刺さった。 ぱりん、と薄氷の割れるような音がして黒の塊の動きは鈍り、ひとつ瞬く合間にどろりと溶け出して形を失っていった。完全に溶けてなくなったそれを確認すると、女はガイゲのほうを振り向く。 矢を放った姿勢のままだったガイゲは弓を下ろし、そのそばに女性はつかつかと歩み寄る。それから槍の峰で彼の頭を一度殴った。 「あいったぁッ!」 「お前、次の休みなしな」 「……はい……」 ずれた帽子をなおす彼を横目で見やりながら、彼女はふん、と鼻をならす。 「素直でよろしい。ブランドとシュネイはどうしたかわかるか?」 「シュネイが姿を消したので……ブランドが探しに」 「ちッ。さっさと見つけてこんか愚弟めが」 女は忌々しげに舌打ちをすると、石突をざくりと地面に突き刺した。その背後にどす黒い炎のようなものが見えたような気がして、ガイゲは思わず肩を震わせる。 「まあいい、いないものは仕方ないからな。……ところでガイゲ、喉の調子は大丈夫か? シュネイの代わりに歌ってほしい」 「大丈夫です。いけます」 先ほど歌ったばかりではあるが、彼は力強くうなずいて見せた。その視線に女は口元を緩め、ぽん、と気遣うように軽く肩をたたく。 「喉が壊れるほどは歌うなよ。あいつのように殲滅しようなどと思うな。動きを止めるだけで十分だ」 気遣いの言葉を口にしてから、ビルケは一瞬考え込んだ。そしてもうひとつ、と注文を付け加える。 「それと、影どもの数の把握を頼む」 「わかりました……ですが」 ちらりと向こうの方の喧騒を見やる。この集落に影に効力のある歌を歌えるセンゲルは少ない。だが歌っている間、センゲル自身は無防備なのだ。歌う間、誰かがその身を守らなければならなかった。 「私がお前の楯になろう。シュネイとおまえと赤毛馬鹿の組み合わせにはとても敵わんがな」 「敵わないだなんて、そんな。ビルケ隊長が守ってくださるなら心強いですよ」 「ふふ、そうか。私の代わりに、あとで奴らを思いっきり殴っておけよ?」 ビルケと呼ばれた彼女は、ガイゲに殴られる二人を想像したのか、心底楽しそうに口元をゆがめてから、すぐに顔を引き締めた。 「いくぞ、時間が惜しい」 「はい」 ビルケは槍を地面から引っこ抜くと、風を切って駆け出した。ガイゲもそれに続く。 ![]() ![]() 「くそったれがッ」 「……これ、は、さすがに……キツイな……」 集落が影に襲われたのと時を同じくして、彼らも別の影の群れと相対していた。しかし、二人で応戦するにはあまりにも数が多すぎる。まるで待ち伏せていたかのように現れた影たちに、ブランドは歌うシュネイを守りきる余裕がない。シュネイも自身で攻撃を捌きながら、短く旋律を紡ぎ、小出しに相手の動きを鈍らせていく。 「きりがねぇな畜生……! ガイゲさえいりゃ一発なのに!」 「『天よりきたる白絹の笑み 黒の穢れを覆い隠せ』……っく! いないものは仕方ないだろ!」 右へ左へ自在に剣を薙ぐブランドと背中合わせのかたちで、自身も決して得意ではない長剣を振るう。唇から乗せられた音が影の足元の雪を盛り上がらせて壁をつくり、その足を止める。 だが、「影」とは実態のない影であるがゆえにそう呼ばれるのだ。そんな足止めなどほんのわずかの時間しか効果はなく、すぐに壁から滲み出し、抜け出してきてしまう。そしてこれらは、その場の全てを殲滅しなければ決して追い払う事が出来ないという最大の難点があった。 「せめて戦えるやつがあと一人……あと一人、居れば歌う時間くらい稼げるのによ!」 ぬるりとした嫌な感触を手に伝えながら剣が相手の胴を真っ二つにし、ブランドは顔をしかめる。再生する間に脳天からその刃を振り下ろして額の核を割り抜くが、そいつが溶けきる前にまた別の影が襲い来る。シュネイがいるので背後から来る心配はないが、次から次へと湧き出てくる影に辟易しながらまた剣を返した。 シュネイはシュネイで、歌いながらの戦い方をするので埒が明かない。旋律を安定させながら激しく体を動かすのは、予想以上に精神力が削られてしまうのだった。かといって歌うのをやめれば、彼の剣では影に太刀打ちなどできない。 「……あと一人、か……」 「できんのか?」 呟かれたそれを、ブランドはのがさず耳にとめる。白髪のエルフェは眉をひそめてぶつぶつと答えながら、長剣の刃を斜めに滑らせた。 「歌にかかるのがだいたい七メニト……片側を防ぐ程度の『傀儡』ならあるいは」 「どのくらいかかる」 「一メニト半から二メニト」 「……ちぃっときっついなー……」 眉をひそめ、提示された時間を守りきる自信はあまりないと示すブランド。間髪いれずに降ってきた鎌状の腕を弾き、ひるんだ隙に胴を思い切り蹴飛ばしてやる。 「無理か?」 「だれが無理なんて言ったか、よ!」 蹴り倒したそいつの急所を貫き、赤毛の男はにやりと笑った。 「ただ、ひとつ条件がある」 「なんだ?」 「俺に森の守護をくれ。じゃなきゃ途中で倒れそうだ」 「守護か、わかった。ちょっとまってく……れなっ」 影の突き出してくる太い針状のそれを防ぎ、ギリギリと鍔迫り合いのような形になった。力は互角、気を抜けば押し負ける。金色の瞳で色のない相手をまっすぐに睨み、腕に力を込めていく。 すると、ふっ、と影の力が一瞬引いた。シュネイはその瞬間を逃さずに、短いフレーズを口にする。 『吹き抜ける風、恵みの大地、わが同胞に木々の護りを』 やや早口のそれを言い終えた瞬間、歌に気をとられたシュネイは返ってきた影の力に負け、バランスを崩した。対する影はここぞとばかりに大きく針状の腕を振り上げ、倒れ行く瞬間のその心臓に向けて突き出す。 やられる――! 体勢を変えることの出来ない男は思わず目を閉じ、胸に突き刺さる黒い針を想像した―― が、それは現実にはならなかった。代わりにぱりん、と影の核の割れたなじみの音がして、シュネイの体は雪に優しく受け止められる。 「あっぶねー……下手したら二人仲良く死んでたな、こりゃ」 聞き覚えのある男の声が真上から降ってきたので瞼を開けると、実体のない緑色の薄衣を纏ったブランドが、笑ってその手を差し伸べていた。遠慮なくその手をつかんで起き上がらせてもらい、見渡してみれば周囲の影どもは少し後退している。 ……いや、正確には後退したのではない。近くにいた影は、全て核を割り抜かれたのだ。その証拠に、白いはずのあたりは黒い染みだらけである。が、それも瞬く間に透けて消えていった。 「二メニトはかかるはずじゃなかったか、あれ」 「そんな間があるか。短縮できるものは出来る限り短くするさ。……しかしまぁ、よくやるよ。歌が間に合っても、お前じゃなきゃやられてた」 森の守護を受けたブランドは、身体能力や感覚を研ぎ澄まされただけでなく、失った体力までも回復されたのか、見るからに生き生きとした顔をしていた。対してシュネイはやややつれた顔をして、ブランドの肩を叩きながら率直な感想を述べる。 「……別におれが傀儡作らなくても、一人でいけるんじゃないか?」 「いや無理、気配がヤバい。多分まだでかいのが隠れてやがるし。だから早く援護しろ」 「……了解」 軽口は終わりだとばかりに、ブランドはシュネイから数歩離れて、再び剣を構える。 今度は守りに徹するための構えだ。そう、無理に打って出る必要はない。だが空色の瞳はどんな敵も通すまいと、炯々としている。 「創造や破壊の歌は略せないから困ったもんだよな……さてと。『天の神、地の神、時の神、万物を司りし意志よ』!」 ちいさなぼやきの後に高らかに宣言された、創造の初めの文句。それを合図とするかのように、ブランドの攻勢におののいていた影たちが一斉に動き出した。 シュネイはゆっくりと目を閉じ、足を肩幅に開いて落ち着けるように深呼吸をする。視界を自ら遮るなど、完全にブランドを信頼しきっているからこそ出来ることだ。 信頼にこたえるように、ブランドが動いた。白い地面を蹴立て、シュネイを中心として円を描くように飛び回り、的確に影たちの急所……額の核を攻撃していく。瞬く間に地面は真っ黒に染まったが、シュネイの足元は未だ純白のままだ。 『……光なき闇、闇なき光、暁と宵の間に眠れし意思と共にあれ……痛みを抱え、傷をつくりて創造と成した、神々の御業の如き……』 ブランドが正面で影を斬る隙に、その背後から別の影がシュネイの体を貫こうと忍び寄る。だが振り上げた蜘蛛のような多足を下ろす前に、その足が全て切り落とされた。 「なめんなよ? 化け物」 にやりと笑う彼の顔は、さながら戦の鬼のようだ。剣を振るうことが楽しくて仕方がないようにさえ見える。 足を落とされひるんだ影の体を駆け上り、核に剣先を滑らせると、流れるように大きく宙へ躍り出る。下で大口を開けて待ち構える影には体をひねって刃を下にし、落ちる勢いのまま突き立てた。 体重のかかった刃は一気に影の体を貫き通し、ブランドの体ごと核の部分を突き抜ける。 溶け出した黒の返り血を浴びながら、さらに闇と闇の間を奔る赤。 「!」 その時だ。 シュネイの右手前方の木陰から、今までの影どもと比べると桁違いに大きな影が現れた。木々をなぎ倒すようにぬめり、と抜け出たそれは、足元の影たちを飲み込みながら真っ直ぐにシュネイに向けて進んでくる。 幸いにも動きは鈍重で、まるで巨大ななめくじのように見える。だがそれも段々と形を変えてゆき、やがて四足の奇妙な獣の姿となった。 「……なん、だよ……ありゃあ……」 気配を感じていたとはいえ、あまりにも大きなそれを目にして、ブランドは思わず一瞬、意識を奪われてしまう。 黒い巨獣は、獣が水で濡れたときに似た仕草で身震いすると、おののくエルフェに鼻面を向けて、にたりと嗤うように裂けた口をゆがませた。 『……土に還らんとする獣たち、風に還らんとする同胞たちの魂よ。今一度わが声に応えて黄泉還れ』 その時、シュネイの歌が終わった。 同時にざわり、と彼の周りの空気が動きだし、それに呼応してコバルト色の影を伸ばしながら、雪の塊が渦を巻いて立ち上がってゆく。雪はまるで見えない手でこねられる粘土のように形を変え、やがて巨大な蛇の形となる。鎌首をもたげた氷の蛇はゆっくりと腹を波打たせながら、シュネイを見下ろした。 そこでシュネイは、ようやく瞼を開く。 ちろちろと舌を出し入れしながら、つくり主の命令を待って控える蛇と、突如現れたそれに挑むようにたたずむ黒い巨体を認識し、荒い息を懸命に整えながら次の言葉を吐き出した。 「我が手によりし雪のシュランゲ」 その台詞で氷の蛇は頭を少し下げ、獲物を捕らえるリズムを図る動きで左右に頭を揺らし始める。影の獣も、いつでも飛びかかれるよう体勢を低くした。互いに牽制しあうように存在しない目を光らせ、白蛇と黒獣が睨みあう形となる。 「この世にあらざるモノを滅せよ」 シュネイの声と共に、白と黒は互いを喰らい合わんと前へ飛び出した。 ![]() ![]() 長引く戦いに、エルフェたちの疲労の色が濃くなってきた頃。急に影たちの動きが緩慢になった。ガイゲやほかのセンゲルたちが歌っているせいではなく、それに加えて更に鈍ったのだ。これは好機とばかりに、エルフェたちは反撃を開始する。 (……? 何が起きた?) ビルケは約束どおりガイゲの身辺を守りながら、黒い敵の鈍った動きに眉をひそめた。一本にまとめた長い髪が体について動き、よく晴れた空からの光に反射して輝く。 「! ビルケ隊長!」 「なんだ?!」 「森のほうから歌が……」 戦いの音にまぎれて聞こえてきたかすかな音の連なりに、ガイゲはしばし歌うのをやめて耳を澄ました。影との戦いのたびに聞きなれた旋律だ、間違っても聞き違うなんてことはない。 「シュネイの声です!」 「近いのか?」 ビルケが槍を軽く回転させて攻撃を捌き、ひと段落したところで次の獲物を探しながら訊いてきた。 彼女はガイゲほど耳がよくない。というよりも、ガイゲやシュネイを含めたセンゲルたちの方が、鍛えられた特殊な耳を持っているのだが。 「僕の足で五メニトほどのところ、みたいです」 「曲は、いつものアレか?」 「ええ」 「なるほどな。どうりで影どもの動きが一段と鈍ったわけだ」 「向こうも襲われていたんですね……どうしますか?」 ガイゲは弓に手をやりながら、ビルケを見た。今にも走って行きたそうな彼の様子に苦笑して、ビルケは再び槍の穂を新たに湧いた影に向ける。 「行ってこい、ガイゲ。いつも通り、しっかりサポートしてやれよ!」 「! はい!」 にやりと笑ったビルケの言葉に、ぱっと表情を明るくして、ガイゲは一目散に森へと駆け出す。その道を塞ぐように立ちはだかろうとした影を、横から銀色の光が貫いた。 「貴様らの相手はこの私だ。来い」 不敵に笑うビルケ。ガイゲは彼女に軽く目礼だけして、再び駆け出す。 ![]() ![]() 「……ちッ、やべぇな……アレはでけぇので手一杯だし……つってもシュネイにゃこれ以上……」 作り主の意志に従ってか、氷の蛇は巨大な黒獣と絡み合いながら、遠くへ遠くへと運んでいく。 ぶつぶつと呟きながら、ブランドは効力の切れ掛かった森の守護に精一杯頼って、剣を振るい続けていた。完全な状態ではないそれが、徐々に疲れの溜まりはじめた体と共に、焦りに拍車をかける。 しかしシュネイの歌が終わるまで、あと三メニトはかかるのだ。歌を中断させては全てが水泡に帰すし、何よりもこの一曲以上は、シュネイの喉が限界であろう事は想像がついた。 (くそっ……ガイゲがいりゃあこんなの……) この場にいない男を思い浮かべて、振り切るように頭を横に振る。叶わない希望は、絶望を生むだけだ。そう思いなおして、ブランドはちらりとシュネイのほうに目をやった。 そして、彼が見たのは。 影の怪物の強靭な顎が、まさにその肩に吸い込まれようとする瞬間であった。 「シュネイっ、逃げろォーーッ!!」 しかし、目を閉じて歌にだけ集中しているシュネイには、彼の言葉は届かない。一瞬でも気を抜いた自分を責めながら、ブランドは渾身の力で腰にさしていた短剣を投げつけた。が、どう考えても間に合いはしない。 「まったく、しょうがないなー」 どこからか男の声がして、同時に矢を受けた影がのけぞる。ブランドの投げた短剣は黒い喉に突き刺さり、声もない悲鳴を上げたそれに追い討ちをかけるように、再び飛来した矢が額を撃ち抜いた。 核を砕かれた影はあっけなく溶け出してシュネイの足元に崩れ、瞬く間に残骸は雪上にきえていった。 「――――っ?!」 「もう、僕がいないと駄目なんだからー。あの状態のシュネイに、反応できるわけないでしょー」 「ガイゲ?! ……助かった!」 木々の間からため息をつきながら顔を出したのは、まぎれもなく見知ったぽっちゃり顔。全速力で走ってきたのだろう、肩の上下が激しい。ブランドにとっては半ば孤独といってもよかった戦いに、光が差した。これならシュネイの歌が終わるまであと少し、踏ん張れる。 と、余所見をしていたブランドの背後に唐突に影が現れる。だが、彼はそれを振り向くと同時に斬り上げた剣で、難なく葬った。ガイゲが来たというそれだけで、別人のように体が軽くなってくる。 「この節だと……あと二メニト半ってとこかぁ」 ガイゲはざっと辺りをみまわすと、手近な枝に素早く飛び乗る。それから矢筒から出した矢を三本同時につがえた。彼の矢は、シュネイが見回りに使っているものよりも幾分か、細く短い。 「さーてと。反撃開始ー」 狙うはブランドの背後を中心とした死角。独り言と共につがえた矢を放った。三本の矢はきれいな弧を描くと、わずかに時間差をつけながら一体の影に突き刺さる。そのうちの一本が、額の核を壊した。 よほど腕に自信があるのか、ガイゲは矢が当たったかどうかなどろくに見もしない。次々と流れるようにつがえ、狙い、放つ。正直なところ歌よりも、弓の方が得意なのではないかと思わせる正確さで、影たちの数を減らしていく。 「おー、さっすがガイゲ……負けてらんねー、なッ!」 一方援軍を得たブランドの方も、俄然キレのある戦いぶりが戻ってきた。背後を気にする必要がなくなったのだ。それが疲れを押さえ込み、影どもを完膚なきまでに斬り伏せるだけの力を蘇らせた。 「いつも通り」の戦い方、それが心の余裕と冷静さを生む。 『白に交わらんとする 黒は黒に還れ』 『闇より出でし 黄金王の眷属』 『古の定めの輪より 意図せずはぐれし者どもよ』 『我が声を聞け 理に従え』 『世界よ 道をはずれし彼らを』 『大いなる慈悲に 包み赦したまえ』 やがてシュネイの紡ぐ長歌の、最後の言葉がようやく放たれた。両腕をそろえて前に突き出すと、ぐん、と一瞬にして何か目に見えないものが彼の周りに集まる。 次に閉じていた瞼を開き、腕を大きく左右に広げた。同時に彼を中心として円状に、見えない力が一気に広がっていく。 透明な力の波に飲み込まれた影は動きを止め、抵抗する間もなく青白い光の粒へと分解された。分解されたあとの光は、真っ直ぐ天へと昇っていく。 あの巨大な黒獣もわずかに抵抗したが、動きの鈍ったところで白蛇に首を噛み千切られ、その断面から光の粒となって消えていった。 「……ふう」 しばらく腕を広げたまま影の様子を見ていたシュネイだが、それらが全て消え去ると、ようやく息をついて肩を下ろした。ブランドはどさりと剣を投げ出して、その場に大の字に横たわり、ガイゲは枝から飛び降りるとシュネイの元に駆け寄る。 「シュネイー!」 「おあっ……えっ、あれ、ガイゲ?!」 泣きそうな顔で飛びつかれ、シュネイは目を見開いて友人の体を受け止める。 「大丈夫? 怪我ない? よかったあ、幽霊じゃなくてー」 「あ、ああ……。そっか、手伝ってくれたのか。ありがとうな」 まわりを見渡し、そこら中に矢が散乱しているのを見て礼をいう。ぽんぽん、とその背中を数度叩いてやってから、彼の体を引き剥がした。それから向かって左側に倒れている、赤髪の男に近よる。そばにしゃがみこみ、心配そうにその顔を覗き込んだ。 「大丈夫か?」 「おう、なんとか……でももう体中いてぇや」 「すまないな」 「お前が謝ることじゃねぇだろ。……しっかし、非番なのに出番のときよりくたくただぜ、ったく」 毛皮の外套はあちこち破れ、帽子もマフラーも何処かに吹き飛んでいる。顔もかすり傷だらけではあったが、大きな怪我などはない。文句を言いながらも、赤髪の男は白い歯をのぞかせて笑ってみせた。 「そうか、よかった」 シュネイの髪がふいにきらめく雪のように光って、ブランドは目を細めた。その脇からにゅっ、と柔らかな茶色の癖毛が顔をだす。 「一人で立てる? 立てないなら歌ってあげようかー」 「おう、すまねぇ。頼めるか」 「いいよー。どうせまた後でビルケ隊長に殴られると思うしー」 「げッ……マジかよ」 ブランドの引きつった顔を見て、ガイゲもシュネイも顔を見合わせて笑う。 と、シュネイがふいに顔を青ざめさせた。 「そうだ、ここに影がいたって事は、村は……!」 「うん、襲われたけど大丈夫だよー。シュネイの歌、向こうにいた時に聞こえてたから、届いてるはず」 「そ……っか、なら」 ほっと胸を撫で下ろし、シュネイは今度こそ心から笑う。シュネイを安心させたガイゲも、再びブランドのほうを向き、治癒の歌を歌おうと息を吸い込んだ。 「ふふ、さすがは噂のセンゲルね」 そこに聞こえたのは、聞き覚えのない女の声。 |
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