『 色 の な い 、  棘 』

 それは、俺が「あの人」に出会う前で、生まれてはじめて、一日のうちに両手両足では足りぬ程度の命を屠った時のことだったとおもう。
 その日も、血の匂いの混じった冷たい風が、岩だらけでなにもない褐色の大地を休むことなくなでまわしていた。俺はこの手でいつもと同じように、「敵」をその敵自身の血で染めていた。

 目の前に立っていたのは、黒い髪をした一人の男だった。悲しそうに足元の死体を見つめている姿は人にそっくりだが、おそらく人間ではない。人間なら、こんな戦場にひとりで立ち尽くしているわけがないから。なによりもその手は……血にまみれているのだから。
「君は……?」
よく通る声で話しかけてきたそいつは、俺を認めてつぶやくようにそう尋ねた。
 俺は答えない。敵か、味方か……俺の関心はもっぱらそちらに集中していた。
 「ああ、そうか。君も?」
言わずとも分かるだろうに。俺は疑いのまなざしでそいつを見ていた。俺の全身もそいつの手と同様に、赤く染まっている。
「名乗ろうにも、所属も名前もなくてね。君は、政府の所属かい?」
だまったまま、首を横に振る。張り付いている前髪が邪魔になったので、片手で振り払った。まだ乾かない、生臭いものが顔についたのがわかる。
「そうか、なら敵じゃないな」
「……敵じゃなければ、俺があんたを殺さないとでも?」
こんな場所でもどこかのんびりした調子の男に気圧されながら、精一杯いきがってそんな言葉をたたきつけた。すると男は何を思ったのか、微笑みさえ浮かべてこちらを見返してくる。
 「君に、僕は殺せない」
「なんでそう思う」
「やってみるかい?」
 にやり、と笑ったその口元が気に食わない。かっとなって、俺は地面を蹴った。腕の骨を刃物のように変形させて首を狙う。刃はやすやすと肉に食い込み、確かに骨を切断した感触があった。頭がとび、過ぎ去った背後にごとりという重い音が聞こえる。……これで生きているやつなどいるものか。
 「……ほらね、殺せない」
その声におどろいて振り向くと、男はさっきの位置から微動だにしないで笑っている。なぜそうなったのか、全然分からなかった。混乱した俺の隙を、そいつは見逃さなかった。気がつけば鳩尾に拳をくらい、俺の記憶はそこからすこしばかり中断されている。

 「気がついた?」
 目を覚ましたのは、どこかの狭い岩場か小さな洞窟のようなところだった。火は焚かれていないが、俺の目ならば十分に見える。男も暗いところでの視界にはほとんど不自由しないようだった。
「水は飲めるかい」
 まだ意識がぼんやりしていて、何を言われたのかよくわからないままでうなずくと、そいつは皮袋に満たした水をくれた。やけにのどが渇いていたので、ろくに確認もせずに口をつける。
「……やっぱり、子供だよなあ」
 夢中になって水を飲んでいる俺を見て、男はつぶやいた。否定はしない。俺の姿かたちは、確かに人間の子供にそっくりだからだ。
「まあ、このご時勢で、姿がどうとかはあてにならないけど。でも……初めて見たよ、子供の姿をした兵器なんて」
 男がいう兵器とは、現在は世界中で「生物兵器」と呼ばれるモノたちのことだった。人間が人間を殺すために作り出した、通常ではありえない力をもつ生き物たち。その姿はさまざまで、動物の形をしたもの、虫の形をしたもの、想像上の怪物を模したものなど、たくさんの種類がいた。その最たるものが人間の形をした、俺たちのようなヒト型の兵器だ。思考もあれば言葉も話すし、ちょっと見ただけでは人間と区別がつかない。世界中の政治家たちは、どの人間が兵器なのか分かったものではないので、びくびくしながら毎日を過ごしていることだろう。
 だが俺たち自身には、生物兵器同士でしかわからない感覚とでもいうのだろうか、相手がどんな姿をしていても兵器であると互いに知ることができた。
「新型かい?」
そう聞いてくるこの男も、そんな感覚でいえば同類だった。だが、同時に兵器ではない普通の人間でもあるような、奇妙な感じもする。
「新型ってわけじゃない。『アポトーシス』、数年前に生産停止にされた型だ。……人間に言わせれば、その中でも『不良品』の部類だ」
 いいながら服の襟をひらき、左側の鎖骨近くに刻まれた型番号をみせる。男には、鳥を模した炎のような形のちいさな焼印の隣に、「H−P 330anc」という文字が見えたはずだ。
 「『アポトーシス』だって?それじゃその姿は――」
「そういうあんたも、似た型は見かけないけど」
 言い返すとすこし困ったような顔になって、男は着ていた服の右袖を捲り上げた。そこから現れたのは「A−A Sh1−α」という見慣れない型番号。それに現在まで製品として生産されてきた生物兵器には必ずあるはずの、製品識別用の焼印――俺の炎の鳥のようなもの――が存在しなかった。
「僕はヒト型の試験体だったんだ。ダブルエー『シーア』……聞いたことないかい?」
「『シーア』…………ってあんたが?」
つぶやかれた俺の言葉に、男は黙ったままうなずく。
 ダブルエー「シーア」とは、ヒト型の生物兵器として初めて戦場に投入された、四体の試験体のうちの一体の通称だった。もっとも当時は名前などなく、実験番号の「Sh1−α」が長い時間がたつうちに誤読されて「シーア」と呼ばれるようになったらしい。しかし「シーア」は二百六十年ほど前に研究所を逃げ出して、当時の国のトップを殺害したことから捕まって処分されたはずだった。それがどうして、こんなところにいるというのか。
 「処分?それは軍の書類の上で、だろうな……実際に僕は捕まっても、当時のトップを殺してもいない。でも脱走したのは事実だ……廃棄、されそうになったから」
 道具として「壊される」のだけは嫌だった。そうつなげて、シーアはまるで人間のような表情で俺の顔を見つめてきた。なぜ見られるのかは分からなかったが、俺は対抗するようにしてシーアを見返す。
 しばらくそうしていると、シーアはため息をついてゆっくりと瞬きをし、それからすこし視線をずらした。その肩がこころなしか下がっているような感じもする。
「君は本当に人間の『兵器』なんだね」
 心底ざんねんそうに発せられたその言葉の意味が、やはり理解できない。
「人間の兵器である以外に、何だって言うんだ」
「……今の君にいっても、多分わからないよ」
「そうか」
 本当にわけのわからないことを言うやつだ、としか思えなかった。人間の手によって、兵器としての用途で生み出された俺たちに、道具である以外の意味などないと思えたからだ。その証拠に、生物兵器には豊かな感情というものがない。そんなものは戦いの邪魔になるだけだった。
 「僕は人間の母親から生まれたんだ」
ふたたび訪れた沈黙のあと、ぼそり、と聞き取りづらい声でシーアが言った。
「人間から?生物兵器なのに?」
 わからないことに対する純粋な疑問だけはわいてくる。目の前の男の言葉や行動が、今まで見てきた兵器たちとは似ても似つかなくて、とても珍しいものにみえた。
「試験体だからね。量産の技術ができる以前に、普通の赤ん坊として生まれて、いろんな手術や薬の投与をうけて育った」
 複雑な表情を浮かべ、男は自分の左の掌を見つめながら言う。
「なまじ感情があるから、自分を実験動物としてしか見ない研究者どもに嫌気がさしたんだ。君たちのように、人間に抵抗する感情がなければ……それなりに幸せだったのかもしれない」
「『幸せ』?なんだ、それ」
「ああ、そっか……それは知らない方が、君も『幸せ』、なのかもしれないね」
 さっきから俺をみてくるシーアの目つきに、なにか神経を逆なでされる感じがした。口調はわずかに笑いを含んでいるのに、瞳の奥に見える色がやけに暗いのだ。俺が出会った人間たちの表情の中では、「悲しみ」というものに一番近いような気がしたが、それとも少し違っているようだった。
 向かい合う相手の考えていることが何なのかわからない。それが戦う相手ならば関係はないが、自分の手で殺すこともできなければ、自分を殺す力を持っているのにも関わらず、相手は攻撃もせずに静かに言葉を語っているだけ。敵ではなさそうだが、味方ともいいきれないだけに、余計に理解できなくて気持ちが悪かった。
 「理解できない、って顔してる。そうだね、人間のことをよく知らないと、たぶん僕の気持ちはわからない」
「……あんたの事が分からないのもだけど、俺のことをそうやって見透かされてるのも嫌だ」
「だって分かりやすいんだもの。兵器なのに、考えてることがすぐ顔に出るみたいだね」
 兵器なのに。その言葉がやけにざらついた感触で俺の胃の辺りをなめた。俺は人間に使われている兵器、それは自身も真っ向から認めているし、誰がどうみてもそうとしか思われないはずだ。だが、なんだろう、この嫌な感覚は。
 ……俺は、人間の道具であることを、本当は認めたくない?
 ひどく曖昧ではあったが、ふとうかんだそんな考えは、すこしづつ俺の中を侵し始めていた。
「顔色が悪い。もうすこし、休んだ方がいいんじゃないか?」
「……あんたの所為だろ……っ!こんな、嫌な……気持ちが悪い……」
思わず顔を手で覆うと、そこになにか水のようなものが触れた。
 「……それは僕の所為じゃない。きっと君にも、まだ人の心があるんだ」
「そんなもの、あるわけない」
「じゃあ、その涙は何なんだ?」
「知らない……なにも、全部、分からない」
 この目から流れてくる液体が涙だということに、シーアの言葉で初めて思い至った。涙というものは、人間が命乞いをするときに恐怖で流すものではなかったのか?俺のような兵器が、道具が、そんなものをもっているわけがない、と自分に言い聞かせ、片手でそれをぬぐった。
 「もう行く。これ以上あんたといると、俺が俺でいられなくなりそうだ」
「そうか……元気で」
「……」
 何も答えずに立ち上がり、シーアの顔を見ないようにして風の吹いてくる方へ歩き出す。シーアは俺を止めようとはしない。ただそこに座ったまま、俺の背に視線を送ってくるのを感じていた。
 外に出ると、相変わらず血の匂いの混じった風が吹き荒れていて、命の匂いのしない褐色の大地と夜の闇とが、先の見えないほど無限に広がっている。そのなかで俺はほっと息をつき、安心を覚えた。
 そうだ、これが俺の生きている世界なんだ。
 確かめるように自分の腕の骨を変形させてみて、すぐまた元に戻す。シーアの言っていた言葉と彼の表情とを思い出して、まだ胸に違和感を覚えながら、それでも足を踏み出した。

 ……「あの人」と出会ったのは、それからまた何十年か後の話だ。



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