すべてのいのちは魂の森から生まれて、魂の森に還るのだよ。 誰が言い始めたのかは知らないが、大陸の住人ばかりではなく、ミアプラキドスのほとんどの者は幼い頃にこの話を聞かされる。あまりに深くひろく、得体の知れない神秘の森を、世界中の人々は畏怖の中に尊敬をこめてこう呼ぶ……「魂の森」と。 この世界には大きく分けて四種類の民がいた。 一つは竜、勇猛なる剣の民。 一つは獣人、金属をあやつる鎚の民。 一つは人間、異質なる機械を生みし民。 一つは樹妖、世界のことわりを知る民。 もちろん森に住むのは、このなかの樹妖族……すなわち樹にやどる精霊たちが、肉体をもった生き物である。かれらは長い時間をかけて生き抜いた木々の魂が、やがて個人の意思をもつようになると生まれてくる。数は少ないが他の種族を圧倒するだけの力……強力な魔法術によって均衡を保っていた。 その樹妖たちの中でも特に力の強いものが死ぬと、竜になるという話がある。昔はそうして生まれた竜がたくさんいたらしいが、今では話自体がほとんど伝説のようになっていた。樹妖の変じた竜は、かならず魂の森から生まれてくる。そんな話もいつの頃からか忘れ去られてしまっていた。 「……ル……ディル……起きろよ」 男の声がして、ディルは目をさました。ぼんやりと声のしたほうを見上げると、そこには彼よりも見た目五つほど年かさの少年がたっている。 「あり……?……ギエナ……」 「お、やっと目さましたな。赤珠さまが呼んでるぜ」 まだあまりはっきりしているとは言えない頭で、ディルはゆっくりとその言葉をめぐらせる。そして事の重大さに気付いて目をみひらいた。 「シャクシュさまが?」 うなずいたギエナは、くるりと背を向けて早々に走り出す。ディルもあわてて飛び起きて、その後を追った。ふたりとも裾のながい服を着ているくせに、獣たちよりも速く、樹や草の邪魔する道のない地面を進んでいく。いや、逆に森の中だからこそ、なのかもしれない。彼らは「森の子ら」と呼ばれる、特殊な種族だった。 やがてディルとギエナがたどり着いたのは、魂の森の最深部……森の住人たちには「聖域」と呼ばれている場所だった。とはいっても、木の葉におおわれてあまり光のささないそこは、むしろ住人たちの憩いの場として親しまれている。 真に聖域とされているのは、そのさらに奥……朽ちかけた巨木のうろをとおりぬけたところにあった。少年たちは物怖じもせずその中へと入っていく。 ときおり強い風の吹く、しかしながら静かな空間。淡い光が降り注ぐそこには、巨木の根っこに腰掛けて足をぶらぶらさせている、ひとりの子供がいた。彼がこの森の長……いや、ミアプラキドス全体の植物の長である「世界樹」の樹妖・赤珠であった。 「赤珠さま、ディルをたたき起こしてきましたよ」 「ご苦労だったね、ギエナールトゥバン。そして寝ているところをすまなんだ、ディルエヴィラーダ」 長ったらしい彼らの本名を律儀に呼んで、赤珠はほほえむ。男とも女ともまるで判別のつかないやわらかな笑顔を向けられ、ディルは樹皮におおわれた葉っぱと枝つきの大きな右腕で、すこし乱暴に自分の頭を掻いた。 「だいじょうぶです。赤珠さまが呼んでるなら、いつでも」 「そうはいっても、お前はまだ生まれてから40年だろう……混ざりきっていない魂のせいで、眠くなるのは仕方がないというに」 我慢するなと困ったように眉をひそめて、赤珠は木の根から降りた。そのままディルとギエナのほうに歩を進めてくる。 「『森の子ら』の生態だしな……俺も昔は眠くて眠くて仕方なかった」 口のはしをわずかにもちあげて、ギエナが笑う。 「森の子ら」とは魂の森にだけすまう、樹妖とはまた別の生き物だ。それは死んだ樹妖のからだが土にかえり、そうしてこの森に魂が還ってくると、それらが寄せ集まって生まれる「竜の幼生」。 ふつう、竜は卵から生まれるが、「森の子ら」はそれとは違う竜の生まれ方だった。よりあつまった樹妖たちの魂は、森の子らの肉体という器の中でゆっくりと時間をかけて、一つの新たな竜の魂として溶け合っていく。 そんなわけで、生まれたばかりの「森の子ら」の中ではまだ魂が混ざりきっておらず、無意識のうちにかなりの体力を消耗しているのだった。生まれて100年ほどは、気がつけば居眠りをしている子供が多い。 今、森の中で一番わかい「森の子ら」が、ディルエヴィラーダだった。「森の子ら」として生をうけてから43年目。そろそろ魂が一つになり始める頃だから、今がいちばん眠い盛りである。こんな昼間からいびきを掻いていたのも、仕方のないことだった。 「お話とはなんですか?赤珠さま」 「うむ……じつはそろそろ、私も寿命が近づいていてな」 世界樹は、この世界のすべての植物たちの、命の源であるものを持っている。ここからそれを世界中に配っているのだが、その世界樹が枯れるということは、全世界の植物たちの死滅を意味していた。一大事、とは正にこのことである。 「世界樹に寿命、ですか?」 「まぁ、本当に命が尽きて枯れてしまえば、世界中の植物たちが死んでしまうが……実はそうならないためにひとつ、方法があるのだ」 赤珠は一度小さく深呼吸をして、ディルとギエナに「頼みごと」を話しはじめた。 この森のどこかに、私の生命をつなぐためのものがある。それがはじめの一言だった。 ディルにはそもそも世界樹が枯れることがある、ということ自体が信じられなかった。世界樹は、文字どおり世界の植物たちの長だ。普通の樹妖や植物にはない、特別な能力や深い知識をもち、むしろ彼らにとっては神にも等しいくらいの存在である。事実、樹妖も含め世界中の多くの部族の伝説の中では、世界樹というものは世界の基盤であって、永遠不滅のものである、という語られ方をしている。 しかし当の赤珠のいうには、どんなに強い力やたくさんの知識を持っていても、世界樹は世界の基盤などではなく、あくまで生き物であるというのだ。生まれもあれば寿命もある。だとすれば、始まりの頃からこの世界を見守っているといわれるほどの長い間、一体どうやって生き続けてきたというのだろうか。その答えを、彼は自らの言葉でゆっくりと語る。 「多くの同胞のなかから世界を見守るという役目を、初めの夫婦……すなわち混沌神ヴァシャンセアと、植物神パルーテからおおせつかったときに、私はある特殊なものによって命を延ばす方法を与えられた。私はそれを『命の水』と呼んでいるが……じつは決まった形がないのだ。時に石であったり、枝であったり、あるいは動物の骨であったりと姿をかえる」 苦笑しながら、それが赤珠自身には森のどこにあるのかがわからないのだ、と続ける。 ディルは目を大きく見開いて素直に驚いていたが、ギエナはすでに知っていたようだ。その話で赤珠の言いたいことがわかったらしい。合点がいったという顔で、低い位置にあるディルの頭を数度、軽くたたく。 「つまり、俺とこいつで探してこいってことですよね?」 「うむ。一応ディルエヴィラーダにすべて任せるが、ギエナールトゥバンにはこれを助けてやってほしいのだ」 うなずいたギエナの手の下で、ディルはふと不思議そうな顔をする。 「……そんな大切な役を、なんでおれなんかに任せられるのです?未熟なおれより、もっと優秀な人だって動物だっているんじゃないですか」 口を尖らせた幼い声に、その疑問はもっともなことだとうなずいて、世界樹は理由を答える。 「森の子らには、命の水を見分けられる力があるのだよ。若い者ほど、それはすぐれておるのだ」 「若いほど……」 「うむ、だからお前に頼むのだよ。森の子らは、長く私を支えてきてくれた……おまえは、やってくれるか?」 言葉ではディルの意志を優先しているが、瞳はどこか有無をいわさぬような光を放つ。ディルはそんな赤珠の目に気圧されるようにして、ぎこちなくうなずいた。 「ありがとう。ではお前たちに、世界樹の守りを」 ふわりと優しい顔をした赤珠は、左の襟を前にしてかさねた服の懐に、白い手をつっこんだ。ふたたび出てきた手には、あざやかな緑色をした大きな葉が二枚。 ディルとギエナはそれを手渡された瞬間に、ふと何かが軽くなったような感じを覚えた。まるで体のまわりの空気がすっかり洗われたような、そんな感覚だ。 「私の葉だよ。傷つけるための力は与えぬが、お前たちをあらゆる危険から護るし、同時に常に体力を回復させる。……どうだ、ディルエヴィラーダ?眠くなくなったろう」 ディルは先ほどまで、半分とじかけた瞼をこすりこすり話に参加していたのだが、言われて二、三度まばたきをした後、はっきりと目を開けた。 「ほんとだ、眠くない……すっげぇ、さすが赤珠さまっ」 はしゃぎだす子供をみて、赤珠は満足そうにうなずく。 「ただし、それに込めた効果は3日ほどしか続かぬから気をつけよ。というかそれ以上は……おそらく私の命の方がもたないのでな」 ちょっと困ったような顔つきで注意しながら笑った赤珠に、二人の表情が引きしまる。 「この森は広大ゆえ、自分の知っている範囲でなければ危険もひそむだろう。無事で帰ってくるのだぞ、ふたりとも」 「「はい」」 高い声と低い声とが、大きな樹の根元でぴたりと重なった。 |
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