二 節『 け も の 道 』


 「ギエナーっ、おーそーいー!」
 赤珠の言いつけで聖域を出てから、西方へすでに半日ほど歩いている。ギエナのことなどお構いなしに先へ進んでしまった小さな相棒に、やっとのことで追いついた。当のディルはといえば、大きな木の枝に腰かけて足をぶらぶらさせながら、肩をおとして歩いてくるギエナを見下ろしている。
「……俺にはなんでお前がそんなに元気なのかがわからないよ」
少しは年寄りを気遣え、などとぼやきながら、とびおりてくるディルに目をやる。
 赤珠の葉をもらってから、元気が有り余っているみたいにして行動する彼に、すこし戸惑っている自分がいた。いつも眠っているか寝起きのディルしかみていないせいだろうか。ほとんどが大人しくおちついた性格の「森の子ら」にしては、珍しく元気なやつだと赤珠から聞かされてはいたが、ここまでとは思っていなかった。
 『まずはこの森の、獣たちの長に会うといい』
初めに赤珠はそう助言してくれた。
 獣の長というのは、外部から森に侵入してきた者を追い返す役目を担ってきた獣たちのことだ。二匹の獣が代替わりのたびに選ばれ、その配下の獣たちとともにこの森を常に監視している。これまでの長の記憶を受け継いできた彼らなら、何か知っているだろう、とのことだった。それで二人は、彼らがいま住処にしているという場所を目指している。
 「なんだよ、年上のくせにだらしねぇなー。今日中に会っておかねーと、使えんの3日だぜ?」
「そんな事、おまえに言われなくてもわかってる」
ぱたぱたとせわしなく動き、せかしてくるディルに、ちょっと休もうと持ちかけて、ギエナは近くの太い根に腰を下ろした。ディルは「ほんと情けないって」とかなんとか文句をいいながら、それでもギエナの言うとおりにする。
 「なあなあ、ギエナはどのくらい『森の子ら』やってんの?」
しばらくはつまらなそうに近くをぐるぐると巡っていたディルだが、ふと思いついてそうたずねた。ギエナはディルのことを割とよく知っているようだが、ディルの方はギエナのことをほとんど知らない。好奇心旺盛な性格もあって、気になったのだろう。
「さあ……もうどのくらいになるかな」
心底つかれた顔をして、目のあたりに左手をあてているギエナは、興味なさげにそうこたえた。赤珠のくれた葉のおかげで体には疲れを感じないものの、あまりにも好き勝手に動きまわるディルのせいで、精神的にまいっている。さすがの世界樹の葉も、心労までは回復できない。
 「なんだよー、教えてくれたっていいじゃん」
「……もう少し黙れないか……頭いてぇ」
「ええー、なにそれ?」
「……誰のせいだと思ってるんだ」
「…………もしかしておれのせい?」
「ああ」
いっそすがすがしいほどさらりと肯定されて、ディルは動きをとめた。頬をふくらませて軽くにらみつけたが、無視された……というよりは気付かれもしなかったので、しかたなくギエナの隣に腰かける。それでもまるっきり落ち着きなく体を揺らし始めるので、ギエナはついに彼から顔をそらして木にもたれかかった。この様子だと、しばらく動く気はなさそうだ。
 「赤珠さま、待ってるのに」
もらした言葉に、焦りがみえる。気ばかりが急いて、どうしようもない。いっそ肉体があることすら、わずらわしく感じてしまうほどだ。どこかゆるりと構えているギエナが、うらやましいようにも憎たらしいようにも感じる。だから落ちつけない。
「なんでかな、すげぇイライラするや」
自分のなかではごちゃごちゃと混ざり合ってよく分からない感情を、ディルはつぶやいたそのひと言で表現した。

 結局ギエナの頭痛が治まった頃には、こんどはディルが寝てしまっていたので、すこし出発が遅れた。昼間でも薄暗い森の中だが、この時間はもうそこら中すっかり黒に沈んでいる。
 しかし、夜闇の暗さは彼らには関係ないようだ。もとが植物であるからだろうか、確かに日光の当たるところのほうが元気だが、眠気が差している様子は特にない。
「獣の長って、夜の方が元気なんだ?」
「ああ、そう聞いている。もともと夜行性の獣や鳥が多いからな、この森は」
だんだん背の高くなってくる植物をかきわけながら、ふたりはしばらく黙ったままで歩いた。獣の長のいる場所はもはや近いと、体のなかで何かが教えている。
 「うぁ、なんか緊張してきたっ」
「すごい威圧感だな……赤珠さまにはかなわないけど」
すこし奥に、草のたけが急に短くなっている所をみつけた。そこから、あまり普通とはいえない空気の流れがあふれ出している。
「……よく来たな、『森の子ら』」
ディルがびくりと体を震わせる。まだその領域に足を踏み入れてはいないのだが、おちついた低音の女声に、恐れのようなものを抱く。
「なに、怯えることはない。森の長の使いを取って食ったりなどせぬ。顔を見せておくれ」
ディルの感情を読みとったのか、声の調子がすこしやわらいだ。ギエナが一歩ふみ出すと、ディルもおそるおそるといった感じで彼についてくる。
 円形にくぼんだ草地の真ん中、背のひくい木の上にいたのは、白い大きなフクロウだった。


 大フクロウは、須応と名乗った。
 金の瞳はやわらかに訪問者を見つめているが、油断も隙も、そこには感じられなかった。この方が獣の長なのだと、名乗られなくともわかる。
 「そなたら、私を……このスオウを探していたな」
そんな調子でひとこと目からいい当てられて、二人はおもわず肩をすくめた。須応はくちばしの先で彼らの後ろをなんどか指し示して、首をひょい、とかたむける。
「森の住人から私たちへは、常に情報がはいってくる。別に不思議なことではなかろう?」
ほっほっ、と笑って、須応はぐるりと首を上下に反転させる。それはどことなく二人を茶化しているようでもあり、楽しんでいるようだった。ただし、二人にはちょっとした驚きと恐怖を与えてしまったようだが。
「すぐにショウマが来るからな。いますこし待たれよ」
「ショウマ?」
「ああ……昼の長の名だ。私は夜の長。獣の長がふたりおるのは知らぬか?」
 なるほど、獣の長が二匹選ばれる理由が、ここにきてはじめて知れる。昼夜つねに森を見張らねばならない獣の長といえど、ずっと動き回っていられるわけではない。だから常に二匹いて、交代で長の役をつとめるのだ。
「私だけでもいいのだが、おそらく大事な話だろう……ふたりの方が、二倍の情報をさがせる」
 須応の体がかすかに光りだす。その輪郭が変化して、見る間に雪のような女に姿を変えた。赤い唇が白に映えて、ぞくりとさせられる。
「この方が話しやすかろう。赤珠どのもよく、人の姿をとっておられるようだし」
とはいえ、赤珠がよくとるのは子供の姿で、「森の子ら」にとっては親しみやすい。こんな、瞳の色で意識を引きずりこむような大人の女性の姿をとられると逆に話しづらいかも、とギエナは心の中でだけつぶやいた。
 と、須応の背後の草むらがゆれて、黒光りする毛並みの大きな熊がのっそり現れた。彼は背を丸めたまま二本足で立ち上がると、ディルとギエナを交互にみやり、次に人間に近い姿の須応をみて、ぽん、と手を打った。
「おう、わしが呼ばれたのはこのためか」
腹にひびく声だ。何に納得したのかはわからないが、彼もまた薄い光をまとう。須応と同じような変化をして、彼は髭をたくわえた黒髪の男の姿になった。人の姿をとっても、熊といわれれば納得してしまいそうだ。須応よりはこちらの方が話しかけやすそうだと、二人は思った。
 「よく来たなあ、『森の子ら』よ。赤珠どのの使いだな」
男は昔の友人にでも会ったように、ゆったりと話した。怒らせれば怖そうだが、よっぽどのことでなければ笑顔を絶やさない、といった印象をうける。
「おっと、まだ名乗っていなかったな。わしは『照魔』、この森の昼の長をつとめている」
見た目どおり豪快に笑って、彼は須応の隣に腰をおろした。
 「わざわざ申し訳ありません、お二方」
ギエナがかしこまった口調で言う。ディルはといえば、すっかり萎縮してしまって思い通りに動けないようだ。こんなことがあるから、赤珠はギエナをつけたのだろう。
「顔をあげて座られよ……我らは、おそらくそなた達の半分も生きておらぬ」
「いやいや、そっちの固まってる坊主は、わしらと同じくらいだろ」
 照魔はふたたび立ち上がると、ディルの前まで歩いてきてしゃがみ、ばしんと一発背中を叩いた。熊のちからで叩かれたら、いくらなんでも痛い。おもわず背中をおさえて顔を上げた瞬間、その原因と目があった。涙目になりながら、相手が獣の長だということを忘れて叫ぶ。
「痛えな、いきなり何すんだよっ!」
ディルの反応に、照魔は髭づらを大きくたゆませて、にかっとわらった。大きな両手でディルの頬を挟み、からかうように揉む。
「やあっと喋ったな、元気でよろしい。ついでに笑ってくれるとありがたいんだが」
「おっさんみたいな怖ぇ顔に笑えって!?」
「そうそう、『おっさん』で充分。そっちの年寄りも、あまりかしこまるな。わしらは森で生まれたもの同士、親戚みたいなものなんだしな」
「と、年……」
面と向かって他人に言われたのは初めてで、ギエナは軽いショックを受ける。たしかに年寄りといわれてもおかしくないほど長く生きてはいるが、容姿も性格も少年なのだから。
 戸惑う彼らを、立ち上がった男は人なつこい顔でみおろす。
「ところで、わしらは名乗ったが……ぬしら、いい加減に名くらいおしえてくれんか」
いわれてはたと気がつき、ふたりは改めて挨拶した。どうも照魔といると調子が狂わされる、とギエナは思ったが、ディルは反対に「このおっさん面白いなぁ」などと不届きなことを考えていた。
 自然、口から出る言葉も違ってきた。緊張はとけたが、やはりギエナは丁寧に話し、逆にディルは満面の笑顔、いつもの軽い調子で喋る。ことのあらましを説明しおえると、須応も照魔もうなずいた。
「なるほどなあ、命の水か。わしらは今までの獣の長の記憶をぜんぶ管理してるが、ちとここから離れないとそいつを引っ張り出せない」
「ああ。二人とも、来てもらおうか。我らの記憶、語りべの竜のところへ」





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