獣の長たちと別れてから、二人は教えられたとおりの道をすすんでいた。 『♪甘いお水はどこどこ湧くの 森の子供が探しているよ そっちのお水は辛いから こっちのお水をお飲みなさいな♪』 道をまちがえると、そんな歌がどこからか聞こえてくる。須応が命じたのか、ときおり聞こえてくる獣や鳥たちの歌う声が、彼らを導いてくれているようだった。 木々のあいだから見える空が、うっすらと紫色に染まっている。命の水を探し始めて一度目の夜が明けようとしていた。 「ギエナ」 「何だ?」 だんだん歩幅のおおきくなってくるギエナに小走りについていきながら、ディルはかすかに震える声で呼びかけた。 「黙ってないでなんか喋ろうぜ」 「……怖いのか?」 「え。そ、そんなことないけど……」 聞きかえされた瞬間にびくりと肩を震わせる。森の中で生きているものとはいえ、夜に歩き回ったことなど滅多にないディルだ。暗いこと自体はそれほど怖くはないのだが、ギエナが喋ってくれないので心細くなる。 「なら別にいいじゃないか」 ふたたび沈黙の時間が場を支配し、フクロウのなく声や蛇が枯葉の上を這っていく音などが、静かに聞こえてくる。自分たちの足音がやけに大きく響き、心臓が口から飛び出そうな気持ちになっていた。 そうやって歩いていくうち頭が痛くなってきて、耳鳴りまでするようになってくる。時間と共にそれは強くなってくるようだった。普通の痛みではない。花の妖精の甲高い叫び声か何かが、頭の中で暴れ狂っているような感じだった。何かに呼ばれている気さえする。 しかし、そのふしぎな頭痛に苦しんでいたのはディルだけではなかった。 ギエナの額には脂汗がにじみ、正直なところをいえばすこし前から、話しかけてくるディルの言葉もはっきりとは理解できていなかった。ただ気の抜けたような返事を曖昧に返していただけだ。そのディルも、今ではすっかり黙りこくってしまっていたが。 やがて進んでいくごとに酷くなっていく頭痛に耐えきれずに立ち止まる。頭の中で血管が脈打っているように、痛みの波が押し寄せていた。 「ギエナ、大丈夫?」 心配そうに見上げてくるディルに、なんでもないと言ってやりたかったが叶わなかった。またすこし歩いたが、やがて耳鳴りどころか、めまいや吐き気まで襲ってくる。 「ギエナ……?ギエナっ!」 ついに地面に膝をついてしまった背中を、ディルが支える。 視界がぼやけ、景色はぐるぐるとまわっている。頬が熱っぽく、しきりに呼びかけているのであろうディルの言葉もあまりよく聞き取れ ない。かろうじて意識はあるが、それもあまりもちそうになかった。 だが、あと半日ほど歩かなければ語り部のおしえてくれた場所にはつけないことだけは確かだった。赤珠のもたせてくれた葉が、少しずつ弱っていく本体の様子を伝えてくれている。これ以上の時間は無駄にできない。 「……ディル、俺は……大丈夫だから。一人で行って、命の水をとって来るんだ」 支えてくれる手をそっと押しのけながら言う。それをきいたもう一人の少年の眉根がよせられた。 「ここにおいてけって?」 「そう、だ。残念だが、今はついていってやれそうにない……」 「でも……」 戸惑うディルを、なかば睨みつけるようにみあげる。 「何のためにここまで来たと思ってる。もう時間がないのは、お前にだってわかるだろう?」 世界樹の鼓動が弱まっていることを、ディルのもつ世界樹の葉も同じく伝えているはずだった。ならば頭痛などで動けなくなっているギエナは置いていくのが、当然の選択だ。 「大丈夫、ただの頭痛だ。命の水に近づいている証拠かもしれない。休めば治るよ……だから、先にいってな」 若いほどそれを感じる力が強いという命の水に、なぜ最年長の森の子らであるギエナがこんなにも過剰に反応することがあるのかとつっこんでやりたかったが、今はそんな場合ではない。 ほら、と腰の辺りを押してくる手の力が優しかった。 押されるがまま、前へ進みだす。十歩ほど歩いたところで振り返ったら、笑ってうなずかれてしまった。背をむけ、目をつぶって走りだす。今度は振り返らなかった。 もうすっかり夜は明けたものの、森の中は常にうす暗い。木洩れ日が風に揺られて、ひとり森の底をすすんでいく少年の顔に影をおとしていた。 頭の中は、置いてきた年上の相棒のことで一杯だった。苦しそうな表情を無理にゆがめて笑顔を作って見せ、自分を先へ進ませた彼はいまどうしているんだろう。死んだりしてはいないだろうか。生き物がいろいろなものによって統率されているとはいえ、中にはおきてを守らない凶悪な生き物だっているし、生き物とはいえないものだっている。だからそれは、決しておおげさな考えとはいえなかった。 ざわめく草のきぬ擦れの音は、静かに足元でさざめいている。 彼の頭痛も、もはや耳鳴りを通り越して吐き気に変わってきていた。目の前の景色がときどき波打ったりしているが、それは足をとめる理由にはなりえない。自分に託されたものが、いまはとても重かった。 ギエナとわかれてからどれだけ進んだのか、よく分からない。ふいに目の前を白いものが横切った。小鹿かなにかかと一瞬思ったが、それにしては大きすぎた。それに、動物ではないような……。 「誰だっ」 つい大声で叫んでしまった。しかし、相手は出てくる気配がない。 「あなたは誰?」 今度は逆に聞き返された。透き通るような高い声は、どことなく赤珠の声にも似ているような気がする。 もしかしたら、どこかの樹の樹妖かもしれない。そう思って正直に名乗った。 「おれは『森の子ら』、ディルエヴィラーダ」 「あら、あなたも?」 ひょいと顔を覗かせたのは、ギエナと同じくらいの年頃の娘だった。ディルやギエナの着る服とはだいぶ印象のちがう真っ白なワンピースを着て、楽しげに笑っている。まるで花みたいだ、とディルは思った。 「あなたも、って……?」 「ええ。わたしはウニョーイェーラ、もうすぐ竜になる『森の子ら』よ」 こんなところで森の子ら にあうなんて、と彼女は嬉しそうだった。しかし、ディルの方はあまり嬉しくはない。こんなところで足留めをくっているわけにはいかないのだ。 「ディルエヴィラーダ、なにか焦っているようね?」 「時間がないんだ。はやく、早く行かなきゃ」 「あらあら、焦りすぎるとうまく事が運ばないわよ。ギエナールトゥバンみたいに、ね」 「え?」 のんびりと喋る彼女の口から、まさかギエナの名が出てくるとは。 「ギエナが、どうかしたのか……?」 「しらないの?森の子らの中では有名な話よ。ギエナールトゥバンは片翼の竜、決して空を飛ぶことはできないって」 かわいそうだと憐れむウニョーイェーラに悪気はないようだった。 聞いたことのない話ではあったが、なんとなくその意味を想像したディルは困惑してしまう。ギエナが空を飛べないって、それはまさか。 「ごめんなさい、どこかへ行く途中だったのよね」 詳しく聞きたかったが、彼女の言うとおり、いまは行くところがある。うなずいて別れを告げ、背をむける。 二、三歩ふみだして、ふと彼は顔をあげた。 「ウニョーイェーラ、時間があるなら頼みたいことがあるんだけど」 「なあに、ディルエヴィラーダ」 さきほど話された内容をおもいだしてすこしだけ気が引けたが、この際しかたがない。誰かに頼んで、なによりも自分が安心したかった。 「この道をずっといくと、おれの用事の相棒がいるんだ。具合が悪くて動けなくなっちゃって、時間がないからおれだけ先に来たんだけど……そいつについてやってくれねぇ?動けないのにひとりじゃ、危ないしさ」 もときた道を指差し、おねがい、とアンバランスな手を合わせる。 「どういう子?」 「ウニョーイェーラと同じくらいの歳のオス寄りのやつ。頭に細長い布巻いてるからすぐわかると思う」 「わかったわ。あなたも気をつけてね」 「……ありがと」 意外にあっさりと引き受けてくれたウニョーイェーラへギエナの名前を言わなかったことに、ちょっとだけ罪悪感を感じながら背を向けた。まあ、特にギエナを嫌っている風でもないようだったから、別にかまわないだろう。 胸のつかえがひとつとれて、足取りがすこし軽くなったようだった。 |
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