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蛍のようにひとつ光が舞い上がった。 それがどこから来たのか、はじめは二人とも分からなかった。だがすぐにそれが、すでに崩れ去った体の持ち主である少年の体から放たれたのだ、ということがわかる。見る間に彼の右手の指先が、ふわふわとした美しい虹色の光とともに失われていった。指がまるで水のように向こうの景色を透かしているのを、本人が一番不思議そうに見つめている。 「命の水」をその体から失ったカルブは、ディルが去ってからそれほど時間の経たないうちに消え始めた。目に見える姿の透明度がどんどんあがり、カルブがその魂ごと森の空気に溶けていくのがギエナにも分かった。光の粒が体の表面に浮き出ては、その部分から色が薄れて見えなくなっていくのだ。 「なるほど、『命の水』がなくなったら、僕の命も保てないってわけか」 やっぱりどこか嬉しそうに、なくなった自分の手のひらを見て言う。ギエナはそんなカルブの様子が可笑しくて、くすりと笑った。 「なんでそんなに嬉しそうなんだ」 問いかける声に、弾むような調子で答えがかえってくる。 「僕の命は消えるけれど、森の命になれるからじゃないかな。これからずっと、森を見守っていけるだろ?僕個人の意思はきえるとしてもさ」 自分自身が消えてしまうことよりも、故郷の森と一体になれることがうれしい。その感情がどこからくるのか、彼自身にもわからなかった。ひどく満ち足りた、心地よい感情だった。 空を見上げて目を閉じると、ギエナがふと問いかけてきた。目を開け、ギエナに向き直る。 「森の記憶がもどったのは、カルブ自身が森の一部になるってことの前触れだったのか?」 「そうなのかな……よく、わからない」 「……そっか」 眉をひそめて睨みつけるような顔をしているギエナに、なぜだか自分も泣き出しそうな気持ちを押さえつけて、一生懸命笑った顔をつくってみたりする。 胸の辺りに風が通っているような感じがしたが、気のせいだと言い聞かせた。せめてカルバールケミヤとしていられる間くらいは、一番親しかった友に笑顔を見せたかったのかもしれない。 「ああ、もう消える。また、どこかで……会えればいいな」 本当に会えるはずはないのに。そう思いながら最後につぶやいた言葉はかすれて、ギエナにはうまく語尾まで届かなかった。 聖域にもどったギエナは、赤珠にカルブのことを話した。聞きながら彼は、何度もうなずく。 「……あの子は昔から森に好かれていたからな」 赤珠にはカルブがどうなったのか、彼の話で大体検討がついたようである。つぶやかれた声は明るかったが、こころなしか目が伏せられていた。 交わされる話し声に気がついて、ディルはまだ寝ぼけた頭のままゆっくりと身を起こした。目をこすりながらあたりを見回し、ギエナと赤珠が何かを話しているらしいのをみとめる。 背を向けたまま振り返ってもいないのに、赤珠のほうがディルに気づいた。ギエナにすこし待っているように言うと、彼はディルのほうに歩み寄る。 「そろそろ起こそうと思っていたが、いらなかったようだな。おはよう、ディルエヴィラーダ」 「……おはよう……ござい、ます?」 「……大丈夫か?」 ぼんやりと返す声に覇気がない。問われた言葉にうなずいた首も、なんだか居眠りを我慢しているような下ろし方だ。寝起きのディルは普段からこんな風にすこぶる反応が鈍い。こんな姿ばかり見ていたから、ギエナはディルがあんなに元気な子供だとは思いもよらなかったのだった。 「ギエナ……が帰ってきた、んですか?」 ようやく眠る前の記憶がよみがえって来たらしく、赤珠が起こそうと思った意味を理解する。赤珠は返事の代わりに振り返り、ギエナを示して手招きした。ギエナはまだ眠そうなディルを見て、苦笑しながら大波のように絡み合う根をまたいでくる。 「おはよう、ディル。よく眠れたか?」 「んー……うん、寝たー……」 ディルの意識がはっきりしてくるにはまだ時間がいりそうだったが、赤珠は彼ら二人がそろわないといけなかったわけを話しだした。 「お前たち、よく見つけてきてくれたな。ありがとう。だが、これはこのままではまだ私の体に馴染まないのでな。もうすこし、二人に手伝ってもらわねばならん」 ついてきなさい、と彼は二人を先導する。だがディルときたら赤珠の言ったことがまだしっかり頭に入っていないらしく、ギエナが手を引いて起こすとそのまま引きずるようにして連れていった。 五分ほども歩いたろうか。いつも広場に向けられているほうの幹とは反対側に連れて行かれる。そこには大きな空洞が口をあけていた。気の遠くなるほど長い時間を風雪に耐えて生き抜いている木は、必ずといっていいほど中身がぼろぼろになっている。他の巨木の例に漏れず、世界樹もまた、中の心材が腐り落ちて穴が開いているのだった。 「ここって……おれたちが生まれたところ?」 赤珠の後についてうろの中へ入り、暗くて見えないのに上を見上げてディルがつぶやく。なんとなく懐かしい気のする、あたたかな暗闇だった。やがて遠くのほうに小さな光がみえてくる。 「そのとおり。森の子らは皆、ここで生まれるのだよ」 うすぼんやりとした光の見えるほうへ歩きながら、赤珠はこたえた。足元はでこぼことして歩きにくいが、前方からのその光のおかげで、二人でも難なく歩くことができる。 「……これって……」 何度も曲がりくねっている道の先で赤珠が足を止めたのは、どこかの突き当たりのようだった。そこでは壁ぎわに寄り添うようにして、一抱えほどもある蛇の卵に似た形をしたものが、光を放っていた。見たことのない大きさの丸い物体に、ディルは素直な驚きを隠さずにつぶやく。 「森の子らの卵だ。森の子らとて、竜の子だからな。うまれる仕組みはすこし違うが……この殻の中で樹妖の魂が交じり合い、体を形づくっていくのだよ」 世界樹に抱かれて、森の子らとなる前の命が目の前にある。ディルはその様子に心を奪われたのか、しばらくじっと見つめていた。これを見たのは二度目のギエナでさえ、脈打つように光る卵の美しさに感嘆の息をもらす。 「ここは私の命の要、生気の脈が通る場所だ。私の力のすべてがここを通って体中に運ばれる……いわば心臓のようなところだな」 世界樹の命の力の渦に触れることによってはじめて、卵は森の子らとして別々の魂がひとつに解け合うための力を得る。卵自体はまた違うところで生まれるというのだが、今は別の話だ。 「ディルエヴィラーダ、これを卵の右隣に置いてくれないか?私自身ではこれを置くことができないのだ」 赤珠は彼が眠る前に預かった「命の水」の満ちた葉を、もう一度手渡す。ディルはそれを受け取って、言われたとおりに卵のそばへ歩いていった。すると卵がひときわ強く光りだす。 「……?」 「早く水をくれって騒いでるんだよ。今のこいつは枯れかけの草みたいなものだから」 ギエナが、驚いて立ち止まってしまったディルのそばに来て、そう囁いた。寿命が近くなって世界樹が弱っていたために、成長に必要な分の力を十分に与えてもらうことができなかったのだろう。いわれてみると、なにかに飢えているようにも感じる。 離れていたときは薄暗くて見えなかったが、よくみると卵の隣の床に何か不思議な模様が描かれていた。魔法陣のようにも見えるそれは、卵ほど強くはないが薄紅い光を、心臓の鼓動のようなリズムでゆっくりと放っている。きっとそれが、赤珠の力の流れの「要」なのだろう。 ギエナに言われて模様の上に葉を置くと、それは地面に沈んでいくようにして消えた。葉に満ちていた光が、竜の死体から水を得たときと同じような波紋をつくりながら、彼らのいる場所全体に染み渡っていく。赤珠はその光のうちの一波の行方を目で追い、やがてそれが消えると満足そうに微笑んだ。 「ありがとう、二人とも。これで私も元の役目を続けられるよ」 いつもの大人びた柔らかな笑顔よりは、幾分か子供じみた顔でくしゃっと笑いながら赤珠は礼を言う。姿は子供でも、そんな表情をした赤珠をあまり見たことのないディルは、内心とまどいながらぎこちなくうなずいた。 「では、外へ出ようか……このまま中にいると、お前たちの方が力の流れに当てられて体調を崩してしまうだろうから」 二人の森の子らを促し、ふたたび先導となって自分の体の中を歩きだす。卵の光が遠ざかり、ほとんどが闇に蹂躙されている空間を何度も曲がりながら進むと、やがてふたたび太陽の光が前方に淡く照るのが見えてきた。 暗いうろの外へ出ると急に昼間の光で明るくなったので、ギエナとディルは思わず目を細める。 明るさに慣れてくると同時にディルは目を見開いた。眼前に広がる銀色の光の粒の舞う光景が、まるで雪がふっているかのようだったのだ。ときおり水辺に陽炎がゆらめき、汗さえにじむ季節だというのに、その力はしんと冷たく、荘厳で神秘的な空気で辺りを満たしている。 「……すっげぇ……!」 光がふってくる頭上をあおぎ、それらが世界樹の枝葉から生まれているものだと知ると、ディルはおもわず声をあげた。生まれて初めて見たその力強い姿に圧倒されてしまう。 「ああそっか、ディルは初めてなんだよな、赤珠さまの『星生み』は」 「星生み?」 「命の力を小さな粒にして、世界中に運ぶんだってさ。ここは風の通り道だしな」 ギエナの言うとおり、聖域にはときおり強い風が吹き抜けていた。風というのは世界をめぐる血液で、この森は植物たちにとって心臓や肺のようなものだという。世界中の命を支えている植物たちの命がうまれ、そしてすべての魂が帰る場所、それが魂の森なのだ。 「これが本来の世界樹の役目なのだよ。この世界の基本である植物に命をあたえ、その魂を預かる者の」 自分にとってはとても身近な存在である赤珠の、世界樹としての雄大な姿にディルは言葉がでなかった。「世界樹」の名は決して伊達ではないのだ。 「さて、これでまた森の子らを竜にしてやることができるな。近いうちにウニョーイェーラの儀式をしようか」 成竜の儀式……すなわち森の子らを完全な竜へと変化させる儀式も、彼の力が弱まっていたためにこの数十年間とどこおっていたのだった。儀式を待っている森の子らが数人いるので、彼はそれらを済ませてやらなければならない。 だが、ディルは赤珠の口からふと出た言葉を聞き逃さなかった。とどこおっていた儀式を行うのならば、なぜ最年長であるはずのギエナの名が出てこないのか。もしかしたら、という思いが確信に変わり始めていた。 「ディル、ちょっといいか?」 そんなディルの感情を読み取ってか、ギエナがディルを連れ出そうと声をかけた。ギエナの声でディルの表情に気がついた赤珠は、はっと眉をあげて口元に手を当てたあと、心底申し訳なさそうな顔になったが、そんな彼にギエナは苦笑しながら首を横に振る。 「……すまんな……私の不注意で」 「いいえ、いずれは必ず知られることですから。赤珠さまはお気になさらないでください」 そう言ってディルの背中を押すギエナの姿がやぶの中に消えるまで、赤珠は不安そうにそれを見つめ続けていた。 |
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