何年も前の、ふるい日記を見つけた。すこしかび臭くて、埃っぽいそれを手に取ると、なんだかやけに重い。

開いてみれば、それは僕がまだ施設にいたころの日記だった。何かをぶつけるように、何かに怯えるように、そんな字で書かれた僕のすべて。あれからずいぶんと時間が経った……僕はいま、生きている。

思わずページをめくって見かえすと、恥ずかしくて仕方がない。ただの妄想をつらつらと書き連ねたような、病んだ文だ。僕は確かに、異常者だったんだろう。

でも、その中には僕の字とは似ても似つかない整然とした字が、時々混じる。それは幻のような事実、彼が存在していた証だ。彼と僕が、 ひとりの中にいたことの。

彼が、笑って消えていったことの。

いや、彼は消えてしまったというよりは、僕の中にとけて混ざったんだ。今の僕は僕であり、彼でもある。

あの頃の僕はただの子供だった。甘ったれだということは今でもあまり変わらないけれど、それでも少しは成長したんじゃないかと思う。彼がいてくれなかったらこうはならなかっただろうし、彼が消えたおかげで今の僕があるのだけれど……でも、この自分を彼に見てもらいたい、と時々思うようになった。きっと、はにかみながら悪態をつくんだろうな。

彼の姿が消えたあと、夢から覚めた自分の胸の奥で、脳を揺さぶるような痛みがあったのを覚えている。母親の手で虐待されていた記憶と、自分の手で母親を殺した罪という、傷からくる痛みだ。それを直視しなければ、ぼくは僕でいられない。彼がいなかったら、僕は生きてこの傷を見続けるなんてことはできなかっただろう。

そろそろこの街を出ようか。そうおもって荷物をまとめていたら、この日記が出てきた。あまり厚くもないのに、やたらと重い気がするノートは、本当は大切なものの筈なのに、しまいこんで忘れてしまっていた。大切なものほど、そうなのかもしれないけれど。

おさない記憶に刻まれた完治することのない傷は、もうあまり痛まなくなっていた。だから、忘れかけていた。いまならわかる、それは彼が傷をふさいでくれているのだと。

これを開くことは、やっぱりほとんどないだろう。けれど、僕はふたたびペンを取った。そうして空白のページに、伝わるはずもない彼への言葉をつづる。僕が彼を、彼が僕をこの先決して忘れないように。
ひとりがふたりであったことの、その証に。

ひとときの幻。

行くあてもなくさまよっていた蜃気楼に、この手で葬送曲を添えよう。








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